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2012年5月01日 15時47分

月の浦

 慶長18年9月(1613年)「サンファンバウティスタ号」という日本製初の西洋型軍船(500㌧級)がここを出帆しました。スペインとの交易を目指し仙台藩主伊達政宗が建造した船です。ただ建造の地はここではなく雄勝の唐桑だったという話もあります。
 
支倉常長の像       航路図の石碑
 特使支倉常長ら一行180人を乗せた「サンファン号」は太平洋を横断、メキシコ経由でスペインに渡りました。国王フェリペ3世に謁見、ローマ教皇パウロ5世にも会って対西貿易へ後押しを願いました。しかし、そのころ江戸幕府はキリスト教を弾圧中で相手側が警戒、計画は成就しませんでした。
 
     月浦港         月浦の港(1mのかさ上げ)
 この間の事情を語る日本側資料が皆無の中、船の寸法書だけが見つかり復元船が県民の寄付で平成5年5月に進水し、石巻渡波に係留施設「サン・ファン館」が出来ました。今のところ、津波で破壊された「復元船及び施設」の再公開時期は未定です。

 常長の帰とはフィリピンまで「サンファン号」で、そこからは別の船で帰りました。元号が元和と変わった同6年(1620年)のことです。7年間の大遠征でした。「サンファン号」はその後スペイン軍艦に、ローマで洗礼を受けた常長は死ぬまで棄教しなかったそうです。

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