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2012年5月08日 18時29分

布施辰治

法曹界人なら「知らない」とは言えません。
戦前、戦後を通じ弱者側に立ち法廷で社会運動擁護の論陣を張った雄です。明治13年、石巻は蛇田に生まれ、昭和28年死去。享年73歳。
「生きべくんば 民衆とともに 死すべくんば 民衆のために」。
彼の座右の銘です。トルストイの影響を受けたとされ日本人はもちろんのことですが朝鮮人、中国人のために奔走しました。左翼活動家が一斉検挙された3・15事件(1928年)、戦後の三鷹事件での弁護が有名です。
上記の座右の銘が刻まれた石碑(あけぼの南公園内)
 生涯、人道主義の立場で権力と対峙しました。
しかし、故郷では理解されず「アカ」呼ばわりされて親せきの人は肩身の狭い思いもしたようです。忘れられた存在でしたが昭和50年代後半、市民有志が顕彰活動を起こしました。それが全市的な運動になって故郷に顕彰碑が建ちました。札幌に住むお孫さん(鉄治氏)から4千5百点に及ぶ遺品が石巻市に寄贈されました。石巻文化センターに収蔵され辰治研究のメッカになりました。彼の出身校明治大学を中心に多くの研究者が訪れていました。同センターは津波被害を受けましたが遺品類は無事でした。

 2004年、日本人初の大韓民国建国勲章が彼に贈られました。
でも、ほとんどの教科書に彼の名前は出て来ません。民族を超えた人類愛の人なのに。

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